まもなく館鼻岸壁朝市が始まります
今年で20年目の日本一カオスと謳われた夜明けから始まるイベント
こんにちは、ちょっとご無沙汰しておりました、ホームページ管理人の「ウミネコ」です。
ここでもいく度か紹介しました朝市ですが、来週の3月17日に待ちに待った今年最初の館鼻岸壁朝市がスタートします。私も17日に参加します!そして24日も二週連続で湘南から八戸に向かいます。
館鼻岸壁朝市のホームページもリニューアルされました!
しかもここは日本一カオスなだけでなく、日本一朝早くアイドルに会えるところです。
ご当地アイドル「pacchi」さんたち
考えてみたら「八戸」の「八」のパッチね!
そういう館鼻岸壁朝市ですが、いくにはちょっと不便なところ。バス停があり、バスも出ていますが、やはり車が便利ですし、駐車場も無料!(路駐禁止!)そもそも、そこはこういう朝市を開催するところはなく、漁港でしたから、観光名所でもありませんでした。
青森県もですが、八戸をご存じの方だと交通の便が非常に悪いところだとお気づきだと思います。JR八戸線、通称「うみねこレール」だって21時台で終電です。八戸市って広いんです・・・
だが、それこそが八戸市民の朝市文化を生んだのか、朝市文化がそういう仕組を作ったのかも。
さて、冒頭の館鼻岸壁朝市対蕪島神社か!?
これは奥が深いんです。八戸ファンには自ずと知られていますが、八戸にいらしたことがない方はぜひ見てもらいたい、参加してもらいたいところがいくつもあります。
コンテンツが豊富な市です。
まず代表的なのがこの朝市とか蕪嶋神社です。
日本一カオス、出店者数300以上で、全国から一度でも見なければと押し寄せる場所です。白銀ハウスはそんなところから車で3分、歩いて15分〜20分(会場駐車場まで15分くらい)。
白銀ハウスは便利なところに位置してます。
市場ではこんな恐ろしいものまで売っています(笑)
か・か・かぶとむしのグミ・・・
前回もお伝えしたように、八戸市の朝活は全国トップクラス。
この前も少し紹介しましたので、ちょっと目を通されるといいですよ!
どうやら八戸市民には朝市と朝風呂は当たり前の文化らしいのです。
ちなみに、陸奥湊駅前の朝市は日曜日以外毎日やっています。
その陸奥湊駅は白銀のお隣の駅なので、日曜日以外にお泊まりの方はぜひそちらへ!
駅まで歩けないこともないです(1.3Kmの距離)で、朝市は「むつ駅前朝市」でやっています。コイン駐車場も駅前にありますが、台数に限りがありますので、そこはご了承願います。
ここは食堂か?朝食を取るなら、こっちのほうが座って落ち着いているかも。
白銀ハウスに泊まるとこういう楽しみ方ができます。
おかずを注文して、ご飯と味噌汁をもらって精算!
さて、その館鼻岸壁朝市ですが、食べ歩きなら、断然館鼻岸壁朝市ですね!
そんな朝市文化ですが、カオスと呼ばれるのはコーヒー、ピザ、幼虫グミ、サボテンからウニや鮎の塩焼き、突然現れるかき氷とラーメン、更にベトナム料理店。(夜は有名な八戸ラーメンを!)
八百屋だと思ったら雑貨屋さんだったり・・・そりゃ、カオスと言われますよね。
全長800mの市場、朝の8時を過ぎると売り切った店主さんたちがどんどん店じまいしていき、9時ころには閉店(閉会?)になります。
公衆トイレもありますのでご心配なく。
夜中のイカ漁から戻ってきて、整備中
お腹がいっぱいになって、また一息しに白銀ハウスへ戻ります。
朝市は朝一番からなので眠たくなりますからね。
ちなみに市場で有名なコーヒー店も出展しています。
落ち着いたら今度は蕪島神社へ!
電車で1駅、「鮫(サメ)駅」(陸奥湊とは逆方面)ですが、現地で少し歩きます。
でも、歩けない距離でもなく数百メートルくらいでしょうか。
車なら蕪島物産販売施設「かぶーにゃ」の無料駐車場もあります。
満車になったら離れた水産科学園マリエント(ちょっと離れています)へ停める羽目になります。
これはトホホですが、ここも駐車料金は無料です。
そして、蕪嶋神社はウミネコパラダイスとも呼ばれるところです。
神社を一周できて、そこには七福神さまたちがお守りしています。
神社の歴史としては永仁4年(1269年)に頼朝によって御家人だった工藤祐経の子である犬房丸が罪を犯して追放され、このひょうたんみたいな島に故郷の江の島を思い出し(筆者の地元)、この島に弁財天を建てたという話らしいです。
そういう意味で筆者も八戸市に魅力を感じているのかも。
余談ではあるが実は、筆者はあの、頼朝の第一家来、侍所であった和田義盛の末裔らしい。
我が実家の真ん前が頼朝の落馬の地でもあリます。
そして、これを書いていて、この神社の創立の話に歴史の矛盾があるのを発見した筆者である。
実は源頼朝は1199年に亡くなっている。そう、日本の歴史を思い出してみると、語呂合わせで「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」というのが思い浮かぶ。実際は数年前の1189辺りに鎌倉幕府が成立したという説のほうが有望で、その1269だと頼朝の死後70年である。
その頼朝は52歳(看板には数え歳で53だが)で人生を終えていて、123歳以上も生きていたことになる?
つまり、1269年の犬房丸氏は頼朝に「流されて=流刑」という意味だろうが、すでに頼朝も配偶者であった北条政子の死(1225年)よりもずっと後である。
おっと!ここは現地調査に行かねば!!!
ってことで、来週と再来週は現地調査に入ります。
では皆さん、白銀ハウスにお泊りにいらしてください。
部屋は9日の時点で16日の夜はすでに仮予約が入っていますのでクローズにしましたが、まだ確定はしておりません。早い者勝ちです。
私は、三沢に出入りする用事があるので17日は現地集合となりますのでヨロシク!
白銀ハウスでの宿泊はこちらから
白銀ハウスをよろしくお願いいたします!
こんなステキな中庭があります!(えんぶりのときは片付けましたけど)
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